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東京地方裁判所 平成元年(行ク)44号 決定

東京都新宿区西新宿三丁目一五番五号ライオンズマンション西新宿四一〇

申立人

井坂紀子

右代理人弁護士

小部正治

東京都新宿区北新宿一丁目一九番三号

相手方

新宿税務署長

河村修司

右指定代理人

田中治

高橋孝二

藤本宜之

郷間弘司

伊藤祐一

右当事者間の文書提出命令申立事件(本案当庁昭和六二年(行ウ)第一一五号所得税更正処分等取消請求事件)につき、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件申立てをいずれも却下する。

理由

一  本件申立ての要旨は別紙文書提出命令申立書記載のとおりであり、これに対する相手方の意見は、別紙文書提出命令の申立てに対する意見書記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

1  民事訴訟法三一二条一号が「訴訟ニ於テ引用シタル文書」につきその引用した当事者に提出義務を課しているのは、当該文書を所持する当事者においてその文書を提出することなく、その存在及び内容を主張し、裁判所に自己の主張が真実であることの心証を一方的に形成させる危険を避けるため、他方当事者にも右文書を利用させるのが公平であるという考慮に基づくものであると解され、右の趣旨に鑑みれば、「訴訟ニ於テ引用シタル文書」とは、当事者が証拠として引用した文書そのものをいうに限らず、その主張を明確にするために、文書の存在について具体的、自発的に言及し、その存在、内容を積極的に引用した文書をも含むものと解するのが相当である。

2  そこで、本件において申立人が主位的に提出を求めている「相手方の昭和六三年三月一四日付け準備書面添付の別表二ないし四の各一、二に記載されている同業者(対象者)についての、昭和五六年ないし昭和五八年のうち引用されている年度分の青色申告決算書」を相手方が本件訴訟において引用しているかどうかについて検討するに、相手方は、右準備書面において、選定同業者の売上金額、売上原価及びこれらにより計算した経費率を前記各別表において示し、申立人の昭和五六年分ないし昭和五八年分の各売上原価を推計するのに用いた各同業者平均経費率を、その算出根拠を明らかにして主張しているものであるところ、右各別表が、本件申立てに係る特定の青色申告決算書の記載内容の一部を用いて相手方等関係税務署長が作成した各報告書(乙第二ないし第七号証の各一ないし三)の内容を引用したものであることは本件訴訟経過により認められるものの、右の事実を考慮しても、右各別表において、相手方が、自己の主張を明確にするために選定同業者に関する特定の青色申告決算書そのものの存在、内容について、具体的、積極的に言及しているものと解することは到底できないものといわざるを得ない。

また、相手方の前記準備書面には、「青色申告の承認を受け青色決算書を提出している者」(同準備書面一二、一三頁)と主張している部分の他は、相手方において「青色決算書」ないし「青色申告決算書」の文言を用いて主張している部分は見当たらないうえ、右主張部分も、同業者の抽出は、青色申告決算書を提出している者にその範囲を限定していることを明らかにするために、青色決算書という語句を一般的、概括的に用いて主張したにすぎず、なんら申立人の申立てに係る特定の青色申告決算書の存在、内容を主張したものではないことが明らかである。

3  また、申立人は、予備的に、主位的申立てに係る前記各青色申告決算書の、申告者の氏名、住所等固有名詞の記載部分を削除した残余の部分の写しについて、その提出を求めているところ、右に判示したとおり、青色申告決算書それ自体が既に「訴訟ニ於テ引用シタル文書」ではないのであるから、右写しについての予備的申立ても理由がないことが明らかである。

4  よって、主位的及び予備的申立てに係る文書は、いずれも民事訴訟法三一二条一号の「引用文書」に該当せず、本件文書提出命令の申立てはいずれも理由がないから、これを却下することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 宍戸達徳 裁判官 北澤晶 裁判官 三村晶子)

文書提出命令申立書

一 文書の表示及び文書の趣旨

1 主位的申立

被告準備書面(二)(昭和六三年三月一四日付)の別表二の一ないし二、別表三の一ないし二及び別表四の一ないし二に記載されている同業者(対象者)について、昭和五六年ないし昭和五八年のうち引用されている年度分の青色申告決算書(青色申告書添付の決算書一切)。

2 予備的申立

右文書の写し。但し、申告者・税理士の住所・氏名・電話番号、事業所の名称・所在地、従業員の氏名等の固有名詞を削除したもの。

二 文書の所持者

1 被告

2 本件の名目上の被告は確かに新宿税務署長であるが、実質上は東京国税局が訴訟を担当し、現実にその事務局も設けている。そして、実際にも東京国税局長がその権限を用いてその下位に位置する渋谷をはじめとする新宿税務署に隣接する五つの各税務署長(もちろん名目上の被告である新宿税務署長も含めて―――乙第二号証の一ないし三)に命じた通達において(乙第一号証)、各税務署長が現実に所持している各青色申告書に基づいて報告書(乙第二号証ないし乙第七号証の各一ないし三)を作成させている。

したがって、本申立で提出を求めている文書はいずれも実質上の「被告」が所持している文書ということができる。また、仮にそうでないとしても、名目上の被告である新宿税務署長が東京国税局長の権限を通じて同一の国家機関の内部の手続きによって容易に提出できる文書であり、やはり被告が「所持」している文書ということができる。

三 立証趣旨(証すべき事実)

1 被告の主張する「比準同業者」と原告とは、その専従者・従業員数及びこれらの給与・人件費・外注費、償却資産・事業所面積、立地条件等々の営業内容・業態等が異なっている事実。

これらの「比準同業者」を原告の類似同業者として推計の根拠に用いることは全く合理性が無い事実。

2(1) 本件の争点の一つは、被告の主張する売上原価についてなした「同業者平均経費率」に合理性が存するかどうかである。

(2) 被告のいう「比準同業者」とは、各税務署管内の「その他の印刷」の業種のうち、確定申告書と青色申告決算書の職業欄に「写植業」となっている者である(鳥越榮一証人 問二五)。しかも、立地条件、事業者の規模、従業員の数、機械の有無、事業所の面積、外注費・人件費の割合は全く考慮されていない(鳥越榮一証人 問一六七ないし問一七一及び一七八ないし問一八三)。

(3) しかし、写植業といっても、「印刷の前の段階で写真の技術を使って字を植字していく仕事」(鳥越榮一証人 問一五四)のみを担当している業者のみにとどまらず、版下まで作成している業者、さらに作成した版下を用いて印刷まで行っている業者もいる。現実に原告は、顧客によっては版下まで、さらに印刷まで受注を受け、外注に出している業者である。この営業内容・業態の相違は、売上原価のうち人件費・外注費の額・割合に大きな相違をもたらすものである。特に原告は、写植業の同業者の中では比較的人件費・外注費の割合の高い特殊な写植業者である。

(4) したがって、原告とその専従者数・従業員数・人件費、外注費、償却資産(印刷機械等の有無)・事業所面積、立地条件等々が異なる、すなわち営業内容・業態等が異なる「比準同業者」を選択し、その平均でしかない「同業者平均経費率」を用いて原告の売上原価を推計することには何らの合理性がないことは明らかである。

四 根拠条文(文書提出義務の原因)

1 民訴法三一二条一号

2 この条文の「引用文書」とは、文書そのものを証拠として引用する場合のほか、その主張を明確にするため、文書の存在・内容につき積極的に言及した文書も含むと解するのが相当である。

ところで、被告が準備書面(二)で引用した別表二の一、二、別表三の一、二及び別表四の一、二に記載されている〈1〉売上金額と〈2〉売上原価等の額は、被告の提出した乙第一号証の通達によって作成された乙第二号証ないし第七号証の各一ないし三に記載された数字をそのまま引用したものである。そして、右乙第二号証ないし第七号証の各一ないし三に記載された数字は、通達の定めた作成要領(乙第一号証四枚目)に従って各青色申告決算書に記載された数字または数字の合計を書き写したものである。鳥越証人もその旨証言している。

したがって、被告の売上原価に関する主張・立証は、客観的かつ実質的に各青色申告決算書そのものによって、むしろそのもののみによってなされていることは明らかであり、しかも被告は自己の主張を明確にするために各青色申告決算書の存在・内容に積極的に言及しているのであるから、各青色申告決算書はまさしく「引用文書」である。

文書提出命令の申立てに対する意見書

原告は、平成元年八月二九日付け文書提出命令申立てにより、主位的に本件の比準同業者の青色申告決算書の、予備的に申告者の固有名詞等を削除した右青色申告決算書写しの提出命令を申し立てているが、右申立ては、次のとおり理由がないから却下されるべきである。

一 提出義務原因の不存在について

1 原告が主位的に提出を求めている文書のうち対象者の所轄税務署が四谷、小石川、渋谷、中野及び豊島の各税務署であるものについては、民訴法三一二条一号に定める「被告が所持する文書」に該当しない。

民訴法三一二条一号により文書提出義務を負うのは文書を所持している訴訟の当事者に限られることは、裁判例及び学説においても異存のないところである(東京高等裁判所昭和五五年八月二六日決定・税務訴訟資料一一四号三八九ページ、岩松・兼子編法律実務講座民事訴訟編四巻二八二ページ)。

しかるに、原告が提出を求めている文書のうち前記各文書の所持者は各該当五税務署の署長であって、被告ではない。

したがって、被告は右各文書について文書提出義務を負うものではない。

2 本件申立てに係る文書は、民訴法三一二条一号の「引用シタル文書」に該当しない。

被告は、本件訴訟において同業者の青色申告内容から同業者平均経費率を算定して、これによる推計課税の主張立証を行っている。しかし、その主張立証が東京国税局長の発した通達(乙第一号証)に基づいて被告ないし所轄税務署長が青色申告をしている納税者(同業者)の申告内容を調査して作成した報告書(乙第二号証ないし乙第七号証の各一ないし三)によるものであることは、本件訴訟の経過に照らしても明らかである。そして、右の作成経緯からも明らかなとおり、報告書は、本件青色申告決算書を参照し、その内容の一部に基づいて作成されたものであるが、文書として独立した意味内容を有し、形式上も右決算書とは別個独立のものであり、仮に被告が存在・内容について積極的に言及しているものがあるとすれば、それは前記報告書であって、青色申告決算書そのものではない。このような場合においても、右決算書自体を訴訟において引用したものと解することは、「引用」の意義を不当に拡大するものであり到底首肯できるものではない。

したがって、原告が本件文書提出命令の申立てで主位的に提出を求めている文書はいずれも民訴法三一二条一号の「引用文書」に当たらず、被告に右文書の提出義務はない。

二 原告が予備的に文書提出を申し立てている青色申告決算書の申告者の氏名等の固有名詞を削除した写しの不存在について

民訴法三一二条ないし三一四条所定の文書提出命令の制度は特定の原本が現存することを前提とし、これを所持する訴訟当事者若しくは第三者にその提出を命ずるものであって、当事者又は、第三者において現存しない文書を作成した上これを提出すべきことを命ずることは、文書提出命令の制度には含まれないと言うべきである(大阪高裁昭和六一年九月一〇日決定・判例時報一二二二号三五ページ)。

ところで、原告が文書提出を申し立てている「申告者・税理士の住所・氏名・電話番号、事業所の名称・所在地、従業員の氏名等の固有名詞を削除した青色申告決算書の写し」(以下「固有名詞を削除した青色申告決算書の写し」という。)は、現に存在しない文書であって、当然のことながら、被告は右文書を所持していない。したがって、被告に右各文書を提出すべき義務はない。

三 守秘義務による提出義務の免除について

1 民訴法三一二条に定める文書提出義務は、裁判所の審理に協力すべき公法上の義務であり、基本的には、証人義務、証言義務と同一の性格のものと解されるから、文書所持者にも同法二七二条、二八一条一項一号等の規定が類推適用され、文書所持者に守秘義務のあるときは、右文書の提出義務を免れると言うべきである。

青色申告決算書は、青色申告者が確定申告に際して確定申告書に添付して税務署長に提出する個人の秘密に属する所得金額、資産負債の内容等が記載された文書であって、税務署長は、所得税の調査に関し職務上知り得た右のような事項につき、国家公務員法一〇〇条一項、所得税法二四三条によって守秘義務を負うものであって(東京高裁昭和四四年一〇月五日決定・判例時報五七三号二〇ページ)、訴訟当事者が仮に右青色申告決算書を訴訟において引用したからと言って、各納税者の秘密保持の利益が無視されてよいことになるいわれはないから、税務署長は右秘匿部分について依然守秘義務を負っているものというべきである。

ところで、公務員をその職務上の秘密につき尋問するに際して民訴法二七二条、二八一条、二八三条の適用につき、職務上の秘密に該当するか否かの実質的な判断権は裁判所になく、その判断は行政庁に委ねられているとの趣旨であると解すべきである(斉藤秀夫・「注解民事訴訟法」五巻四一ページ、五一ページ、井口牧郎「実務民事訴訟講座1・判決手続通論Ⅰ」三〇ページ)。

しかして、右の法理は守秘義務による文書提出義務の免除の場合についても同様に解すべきである。けだし、このように解さなければ、人証か物証かの差異という一事をもって、公務員がその職務上知りえた秘密の保護に違いをもたらすという不合理な結果を招来するからである。

したがって、被告は、原告が文書提出を申し立てている青色申告決算書について原本それ自体の提出義務を負うものではない。

2 原告が予備的にその提出を求めている「固有名詞を削除した青色申告決算書の写し」についても、たとえ右のような事項を青色申告決算書から削除したからといって、右固有名詞を削除した青色申告決算書の写しの原本となった青色申告者の匿名性(その申告書が誰であるかの特定がされないこと)、営業上の秘密及びプライバシーが侵害される危険が回避されるものではなく、また、被告に課されている守秘義務に関する義務違反が、正当化されるというものでもないのである。

すなわち、「固有名詞を削除した青色申告決算書の写し」は、右固有名詞を削除したとしても、なお、従業員の人数・年齢・給与等の金額、事業専従の有無・人数・年齢・給与の金額、減価償却資産の内容等の多くの情報内容が記載されているほか、右記載事項に係る筆跡等が明らかになることから、申告者が特定される危険性は極めて高いといわなければならない。

したがって、被告は右写しについても原本と同様提出義務を負うものではない。

四 本件文書の証拠としての必要性

1 原告は、文書提出命令申立書の三、2において「被告のいう比準同業者とは確定申告書等に「写植業」となっている者であり、立地条件、事業者の規模、従業員の数等は全く考慮されておらず、種々の写植業者を区別していないから被告の行った推計には合理性がない。」旨主張している。

確かに、原告のいうとおり、被告は、同業者を選定する際には被告の昭和六三年三月一四日付け準備書面(二)の第一、三において主張している選定基準以外は考慮していないのであり、原告と被告の間においては推計の合理性の有無という評価については争いは存するものの合理性評価の対象となる事実(比準同業者は、前記選定基準のみにより選定されたという事実)については争いは存しない。

推計課税事件において、推計の合理性に関しては被告側に立証責任があるとされているところ、被告が主張している比準同業者の業種・事業規模等が原告と類似していることが立証されれば推計の合理性が一応是認され、仮にその立証が不十分である場合には、被告の課税の適法性につき証明できない結果に帰着することになる。推計課税の適否をめぐる審理においてはこれら被告が主張する業態の類似要件で推計が合理的であるといえるか否かがまず判断されるべきなのでありそれが肯定される以上業態の些細な相異については判断の必要がないというべきである。いずれにしても青色申告決算書がなければ、推計の合理性に関する原告の反証ができないという性質のものではない。したがって本件申立は、証拠としての必要性も認めることはできない。

2 付言するに被告としては、推計の合理性については、乙第一号証ないし第七号証の一ないし三の提出及び証人による同業者選定経緯等の立証で十分であると考えるものである。

本件で推計の基礎とされる同業者は、昭和五六年分四三名、昭和五七年分五四名、昭和五八年分五三名であり、その平均値は、個々の業者の個別具体的事情を捨象して客観性、普遍性を示すものといえるので、原告と右同業者との間の個別的具体的事情の全てにつき類似性が明らかになっていなくても、右同業者の平均値を採用することはなお合理性を有し許されるのである。

五 以上のとおりであって原告の本件文書提出命令の申立てはいずれの点からも理由がないので却下されるべきものである。

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